1年目/9月/第3週目
「聖書物語シリーズ」
139:1 主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。
139:2 あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。
139:3 あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。
139:4 ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。
139:5 あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。
139:6 そのような知識は私にとってあまりにも不思議、あまりにも高くて、及びもつきません。
139:7 私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。
139:8 たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。
139:9 私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、
139:10 そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕えます。
139:11 たとい私が「おお、やみよ。私をおおえ。私の回りの光よ。夜となれ。」と言っても、
139:12 あなたにとっては、やみも暗くなく夜は昼のように明るいのです。暗やみも光も同じことです。
139:13 それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。
139:14 私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。
139:15 私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。
139:16 あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。
139:17 神よ。あなたの御思いを知るのはなんとむずかしいことでしょう。その総計は、なんと多いことでしょう。
139:18 それを数えようとしても、それは砂よりも数多いのです。私が目ざめるとき、私はなおも、あなたとともにいます。
目標
天地を創造された神は、すべてをご存じであることを知る。
私のすべてを知っておられる全知全能の神を信じて歩む。
適用(例)
全知全能の神を信じる(低学年)
様々な状況において、全知全能の神にすべてをゆだねて、信頼し、歩む(中・高学年)
教授内容
「あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。」
(マタイ10:30)
・神は、人間の何をどこまで知っておられるのか。
人間が自分自身について知っている以上に、神は、人間のことをよく知っておられる。実際、私たちにわかるのはせいぜい今日のことくらいで、明日のことはわからない。しかし、神は、これから先何年にもわたって、私たちに何が最善であるかを知っておられる。日々神に信頼することの大切さがそこにある。
1、 神の性質1・・・「全知」(1-12)
・神はすべてのことを知っておられる。
・今ここでの立ち振る舞いのみならず、私たちの心の思いまで
も知っておられる。
・熟慮を経た思いだけでなく、不用意な思いであれ、衝動的な
思いであれ、一切の思いを知り抜いておられる。
・神の知識は人間の理解力を超えている。
「神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。」(ヘブル4:13)
2、神の性質2・・・「遍在」
・神は同時に遍在されるお方である。
この宇宙のどこにでも、神は存在される。たとえ暗黒のやみに逃げようとも、神の目の及ばぬところはない。だれも神の存在と支配から逃げることはできない。
「たしかに神は私たちひとりひとりから遠く離れてはいません。私たちは、神の中に生き、動き、また存在している」
(使徒17:28)
・一方、神のまなざしは愛のまなざしである。
神はご自身の全知性に自由に制限を加えることもできる。と語られたように、神は私たちの罪を覚えていないと決することもできる。だから、神が知っておられるということで、私たちの思いや意思が否定されることはない。神は私たちの自由意思を尊重し、完全に私たちが自由であることを許しながら、なおかつ、私たちの物事の選択と選択の結果を知っておられるのである。
「私自身のために、あなたのそむきの罪を拭い去り、もうあなたの罪を思い出さない」(イザヤ43:25)
3、 神の性質3・・・「全能」(13-18)
「全能」という性質は、神が万能であり、欲することは何でもできることを意味する。
神は、その偉大な力によって、宇宙とその中にあるすべてのものを創造し、保持しておられる。もし、神がその力を差し控えておられるなら、宇宙は破壊してしまうであろう。
しかしさらに驚くべきことは、神が私たち人間をお造りになったことである。しかも神は、私たちを入念にお造りになった。私たちを母の胎内で組み立て、深いところで「仕組まれた」(刺繍の意)
となれば、神が私たちの幸福のために、働いてくださらないはずがない。また、神がそのように人間を丹精こめて造られたのだとすれば、やはり人間は、よい目的のために造られたのであり、そこにはすばらしい可能性が秘められている。
「神は私たちを世界の基の置かれる前から彼(キリスト)にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神はみむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。」(エペソ1:4-5)
4、 神に信頼する(23-24)
・神は全知であり全能である。
神は私たちが知る以上に、私たちの最善をしっておられる。神は、無から有を生み出すお方である。神は決意したことを何でも存分に成し遂げることがおできになる。これは、わたしたにとって大いなる慰めであり励ましでもある。実際、神にとって大きすぎる問題も難しすぎる試練もない。だから,すべての問題は、神の前に持っていくときに解決されることを知らなければならない。すべての必要について、神に信頼することを学ばなくてはならない。そして何よりも私たちの救いが完成されるために、主の癒しと新しいいのちが必要とされることを教えられなければならない。神のみわざにあずかる人生を歩もう。