CSテキスト2年目1月第1週目

イエスのたとえシリーズ1

出典元「こひつじ」


「良い地に蒔かれた種」



1.テキスト

マタイ福音書13:1~9,18~23


2.主題

導入 イエスさまは、人々に大切なことをお教えになるとき、「たとえ」を使ってお話になることがありました。みなさんは、タネを蒔いたり、植えたりしたことがありますか(何のタネをどんな場所に蒔いたか聞いてみましょう)? 種が良く育つためには、どんな場所(地面)に、蒔けば良いか知っていますか?



1 イエスさまは種蒔きのたとえ話をされました(1-7節)


4つのタネが、それぞれ違う場所(地面)に落ちました。


■道ばたに落ちたタネがありました(4節)。 

「道ばた」とは、畑のまわりのあぜ道や、道路のことです。道ばたは、土が通る人の足で踏み固められているので、タネは土の中に埋まることができません。ですから、このタネは、土の上に転がったままでした。そこへ、鳥がやってきて、そのタネをパクっと食べてしまいました。タネは、芽を出すことさえできなかったのです。


■土の薄い岩地に落ちたタネがありました(5~6節)。

 「土の薄い岩地」とは、表面には薄く土がかぶさっているものの、そのすぐ下は、ガチガチの岩がある地面のことです。ユダヤ地方には、このような土地が多くありました。このタネは、道端に落ちたタネとちがって、少しだけ土に埋まることができました。そして、太陽が当たると、土が薄い分、早く暖められ、すぐに芽を出すことができました。しかし、深く根を張ろうとしたところ、すぐ下にある岩にぶつかってしまい、水分や栄養を吸収することができませんでした。それで、太陽が照り続けると、水分を補いきれず、カラカラに乾いて枯れてしまいました。


■ いばらの中に落ちたタネがありました(7節)。

 「いばら」というのは、トゲのある植物のことです。このタネは、見た目には良い土地に落ちました。しかし、そこは、いばらの根がたくさん残っている土地だったのです。やがて、このタネもいばらも、芽を出し始めました。しかし、いばらの方が、どんどん早く成長し、土地の上を覆ってしまいました。タネの芽は伸びる方向をふさがれてしまい、成長できなくなってしま

いました。結局、いばらに邪魔されて、芽は成長することができず、枯れてしまいました。


✎ユダヤの種蒔きは、日本のそれとは方法が異なる。まずタネをばら蒔いて、それから鍬で畑を耕す(土をかける)。日本でするように、耕した畑にひとつひとつタネを植える方法ではないので、タネが道ばたや岩地に落ちることがあった。


2 イエスさまは種蒔きのたとえ話の意味を教えてくださいました(18-22節)


4つめのタネの話をする前に、この「たとえ」の意味をお話しましょう。

イエスさまは、この「たとえ」の意味を説明してくださいました。「種」は「みことば」のことです。「種を蒔く人」はイエスさま(みことばを語る人)です。そして、「地」は、イエスさまのみことばを聞く人の心、つまり私たちの心の様子を表しています。


■道ばたは、悪魔が来てみことばをとってしまう心をあらわしています(19節)。

 道路の土のように、硬い心は、イエスさまのことばを、まったく受け入れません。みことばを聞いても、「そんなの知~らない」、「俺は従わないよ~」、「信じるなんてバカらしい」といって拒絶する、かたくなな心のことです。せっかく、もらったおやつを、テーブルに置きっ放しにしておくと、誰かに食べられてしまうように、せっかくみことばを聞いても、心の中に受け入れて大切にしていないと、悪魔が来て簡単に奪い去ってしまうのです。私たちの心が「道ばた」では、せっかくのみことばも、何の結果ももたらさない(芽も出さないうちに奪われる)のです。


■ 岩地は、みことばをきいても、困難や迫害があると、すぐに従わなくなってしまう心をあらわしています(20~21節)。 

土の薄い岩地の心は、「すぐに芽を出した」とあるように、みことばを聞いたときは「これ最高!」「その通り!」と言って、喜んでそれを受け入れるかもしれません。また、それを行なおうとして、一瞬はやる気に燃えるかもしれません。しかし、「薄い」という言葉が表すように、みことばを、深く受け入れておらず、しっかり根を張って定着させていないので、しばらくの間そうするだけです。日差しですぐに枯れてしまった芽のように、困難や迫害があると、すぐに従うのをやめてしまいます。



■いばらの中は、誘惑があるとすぐに負けてしまう心をあらわしています。 私たちの身の回りには、誘惑がたくさんあります。礼拝やディボーションより、ゲーム・テレビ・遊園地・おやつ・デートの方が楽しく見えるかもしれません。みことばに従う人生よりも、自分の欲望を満たして生きる方が心地よいように思えるかもしれません。いばらに邪魔されて、タネが成長できない心とは、みことばに従うよりも、誘惑に負け、自分の楽しさを優先させてしまう心のことです。

※「悟らない」…理解できないという意味ではなく、受け入れないということ。つまり「悟る」というのは理解力の問題ではなく、「受容力」(みことばを素直に受け入れて、自分の心に取り込む姿勢)のこと。


3 良い地に蒔かれた種は実を結びます


良い地に落ちた種は、100倍、60倍、30倍に実ります。良い地は、みことばを素直に受け入れ、行なう人の心を表しています。良い地に落ちたタネは、自然に成長し、実を結びます。同様に、私たちが、本当の意味で、みことばを素直に受け入れるなら、それは自然に行動にあらわれるはずです。


そして、そのような人の人生には、100倍!というビックリするほど大きな結果があらわれるのです。みことばを素直に受け入れ、行なう人の人生には、すばらしい結果があらわれるのです。



結論  みことばを、素直な心で聞いて行なう人は、実を結びます


みことばを素直に受け入れる「良い地」になろう!あなたの心は、4つの地面の様子のうち、どれに近いでしょうか?

いつも、礼拝のメッセージをどんな態度で聞いていますか?

また、日曜日以外、教会にいる時以外にも、みことばを思い出し、従っていますか?


私たちの心は弱いですから、みことばを聞いても、すぐに忘れてしまったり、従おうとしても、困難があるとすぐに飽きたり、いやになったり、面倒になってしまったりします。また、教会の中では、みことばに従っていても、学校のお友だちの前では、イエスさまのことをあと回しにしてしまったりしてしまいます。でも、それでは、どんなにすばらしいみことばを聞いても、実を結ぶことができません。礼拝で聞いたメッセージが、実を結び、あなたの人生が何倍にも祝福されるように、「良い地」になりましょう。みことばを素直な心で受け入れ、日曜日以外もいつも思い出す習慣をつけましょう。毎日、自分で聖書を読んでお祈りするディボーションにチャレンジしましょう。


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