CSカリキュラム 2年目8月4週目 旧約聖書6

 

盲目になった敵

 

聖書箇所:列王記下 6章8節-23節

 

 

エリシャは多くの奇跡を行いました。この記事はそのひとつです。

 

ここでエリシャは人の霊の目を開かせたり、目をくらませたりしています。

召使に対しては「目を開いて、見えるようにしてください」(17節)と祈り、

アラムの軍隊に対しては「盲目にしてください」(18節)と祈りました。するとそのようになったのです。

 

(1) 召使の目が開かれて見たもの

 

神の人エリシャの召使は、アラムの王がエリシャをつかまえるために彼のいるドタンに送った馬と戦車の軍隊を見たとき、恐れと不安に陥り慌てました。そのときエリシャは、彼に「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。」と言い、召使の目を開かれように祈りました。すると、召使の目は開かれ、なんとエリシゃを取り囲む火の馬と戦車があるのを見たのです。

 

これと似たような話があります。アッシリヤの攻撃に対して、ユダの王ヒゼキヤが民に対して語った言葉です。

【新改訳改訂第3版】Ⅱ歴代32:7~8

 

「7強くあれ。雄々しくあれ。アッシリヤの王に、彼とともにいるすべての大軍に、恐れをなしてはならない。おびえてはならない。彼とともにいる者よりも大いなる方が私たちとともにおられるからである。

8 彼とともにいる者は肉の腕であり、私たちとともにおられる方は、私たちの神、【主】、私たちを助け、私たちの戦いを戦ってくださる方である。」民はユダの王ヒゼキヤのことばによって奮い立った。

 

イエスも弟子たちにしばしば「恐れるな」ということを語っています。恐れと不安に対する確かな保障を人間は求めます。防衛の保障を与えてくれるものを人は神とするのです。イエスの弟子たちは真の防衛の保障を与えるのは神のみであることを教えるために、しばしば危機的な扱いをされました。ガリラヤ湖での大風と波に翻弄され、今にも沈みそうな状況の中でイエスは弟子たちに一括されます。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのはねどうしたことです」と(マルコ4:40)

神に対する信仰が成長するためには、神がどのような方を知るための霊の目が開かれる必要があります。エリシャの召使の目が開かれて、エリシャの回りに天の軍勢が包囲しているのを見たように、私たちも霊の目が開かれて、「主の御使いが陣を張り、主を恐れる者(主を信じる者)を囲んで助け出して下さる」(詩篇34:7)ことを信じなければなりません。

 

(2) 盲目にされたアラムの軍隊の目が開かれて見たもの

 

アラムの軍隊はエリシャによって盲目にされ、サマリヤに連れて行かれました。彼らが再び目が開かれると、サマリヤの真ん中にいたのです。それは敗北を意味します。

 

ところが、エリシャは北イスラエルの王に彼らをもてなすよう命じます。そこで王は彼らを盛大な宴を設けて歓待しました。略奪隊が、逆にもてなされたのです。

 

これこそまさに「敵の頭に炭火を積む」(ローマ12:20)です。つまり、善をもって悪に打ち勝ったのです。ですから、アラムの略奪隊は二度とイスラエルの地に来なかったのです。愛の勝利であり、イエスの取った態度です。

 

エリシャのした奇蹟、進言、行動などすべてはイエスを啓示しているのです。

 

 

 

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