CSテキスト 2年目62週目

旧約聖書シリーズ3

 

「油そそがれたダビデ」

【聖書】

Ⅰサムエル記161節~23

【聖書の概要】

イスラエルの王サウルは、最初は神様に従っていましたが、次第に自分勝手な行動をするようになりました。そのため、神様はサウルを王の位から退ける決心をします。そのことを神様から告げられた預言者サムエルは二度とサウルに会おうとせず、サウルのことで悲しみました。神様もサウルをイスラエルの王としたことを悔やまれました。

神様はサムエルに言われました。「もうサウルのことを悲しんではいけない。新しい王を探しに行きなさい。それはベツレヘム人エッサイの息子だ。」

サムエルは神様に告げられたとおりにして、ベツレヘムに行きました。すると町の長老たちは恐れながらサムエルを迎えにきて言いました「平和なことでおいでになったのでしょうか」。人々は預言者サムエルを尊敬していましたが、彼を迎えることによってイスラエルの王サウルの機嫌をそこねることが恐かったのかもしれません。

サムエルは「平和なことです。いけにえをささげるために来ました。」と答え、一緒にいけにえをささげるために、エッサイとその息子達を招待しました。

エッサイとその息子達が来た時、サムエルは長男のエリアブを見て、「確かに、王にふさわしい人だ」と思いました。彼がハンサムで背がたかく、かっこ良かったからです。しかし、神様はサムエルに言われました「彼の顔の良さや、背の高さをみてはいけない。彼は王になる人ではない。私は人が見るようには見ていない。人はうわべを見るが、主は心を見る」

続いてエッサイは、次男のアビナダブ、三男のシャマをサムエルに紹介しましたが、神様は彼らではないとおっしゃいます。そうやってエッサイは7番目の子どもまでサムエルに紹介しましたが、神様は誰も「この人だ」とはおっしゃいません。しかし、あたりを見渡しても、もう誰もいません。

サムエルはエッサイに言いました「あなたの息子たちはこれで全部ですか」。エッサイは答えました。「まだ末の子が残っています。あれは今、羊の番をしています。」

当時のイスラエルでは、長男が後継者となるので、兄弟の中でダントツに偉く、次男はその次、3男、4男とつづいてどんどんと家族の中で大事にされなくなっていきます。このエッサイの家では、預言者サムエルに家族全員で招待されたにもかかわらず、末の子は一緒に来ることすら許されず、羊の番をさせられていました。

エッサイは言いました。「人をやって、その子を連れてきなさい」。エッサイは人をやって、彼を連れてこさせました。その子は顔がいきいきとしていて、目が綺麗で、姿も立派な子でした。神様はサムエルに告げられました「さぁ、この者に油をそそげ。この者がそれだ」。サムエルは油の角をとり、兄弟達の真ん中に立たせて、彼に油をそそぎました。その日以来、神様の霊がダビデと一緒にありました。

 一方サウルは、神様の霊が離れていったので、悪い霊にいつも悩まされ、怯えていました。そこで家来達がサウルのために上手にたて琴をひく人を探しにいきました。たて琴をひけば、悪い霊がサウルから離れていくと考えたからです。家来達は、ダビデの噂を聞きつけ、サウルのもとに連れてきました。ダビデは、非常にたて琴が上手だったからです。悪い霊がサウルに臨むたびに、ダビデはたて琴をひきました。するとサウルは元気を取り戻し、悪い霊は去っていきました。こうしてサウルはダビデが気に入り、家来にしました。

 

【聖書の解説】

a. 神はどのようなお方か】

b. 神が何をなしたか】

c. 登場人物と神様との関係】

 

【その他】

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