1年目/11月/第3週
「聖書物語シリーズ」
目標
アダムの堕罪の場面から、人の罪の本質を知り、キリストの救いの意味を理解する。
概要
神は、人を造られた後、園に2本の木を置かれました。
そのひとつが「善悪の知識の木」です。
「命の木」を含むすべての木からも食べてよい資格を与えられていたのですが、たった一本の木(善悪の知識の木)だけからは、取って食べてはならないと命じられ、「それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ」と言われました。
残念ながら、結果的には、へび(サタンとは書いていない)のことばを受け入れて、取って食べてしまいます。その結果、神の言葉どおり、人は「死んだ」ものとなってしまいました。
「死」の意味する重大なことのひとつは、「神との関係を失った」ということです。
ここから、本来神なくしては自分の存在理由も、満足も、平安、希望、も得ることのできない存在であった人間が、自分の力で生きるしかなくなりました。その結果は、人類の歴史を見ると明らかなように、争い、痛み、汚れ、殺し、破壊、死への恐れ、悲しみなど、罪の結果を生み出すことになりました。
キリストが十字架で死んでくださったのは、このアダムの罪の下にいる私たちを、本来の神との関係に回復するためでした。
一人(アダム)の違反、不従順から罪に定められた人類は、一人の人(キリスト)の義の行為、従順によって、もう一度神との関係に入ることができるようになったのです。
前回の学びで、創造のとき人間に与えられたすばらしい性質(神に似せて造られた)の意味は二つありました。
1、神と交わりをすることができる
2、神の性質(愛すること、知恵、知識、創造する力、治める力など)
1、神との交わりを失って、2、本来の姿(愛することなど)をすることが出来なくなった私たちが、キリストの十字架を通して、再び神との関係を持つことができるようになり、発揮できなくなっていた神の性質(愛、など)を行うことができるようにされているのです。
アダムによって失っていたものを、キリストにあって回復されているのです。
内容
1 善悪の知識の木
「善悪の知識の木」だけを食べてはならないと言われたとき、人は99パーセントの権利を与えられていました。でもたったひとつの命令に従わないで、その結果神との関係を失ってしまいました。
へびが語った言葉には、“ひっかけ”がありました。
神は「園のどの木からも取っていい」と言われたのに、
へびは「どの木からも取ってはだめ」と言いました。
非常にたくみに神の言葉を変えています。
エバは、その企みに気がつかないで、あいまいな答えをしていまいます。神の言葉が正確に入っていなかったのです。
「園のどの木からも(99パーセント」は「園にある木の実(程度があいまい」に、
「必ず死ぬ(絶対起こる」は、「死ぬといけないから(可能性がある」
というように。
2 罪の本質
「善悪の知識の木」を神の命令どおりに食べないということは、神がもっとも権威があるお方であることを認めつづけることを意味します。
人生において、多くのことを自由に決断する自由意思が与えられていますが、忘れてはならないのは
人は神ではないということです。
人は、神に造られた存在であり、限界があり、自分だけでは存在できないものであることを忘れてはならないのです。
へびが「善悪の知識の木」を食べるように導いた言葉は、
「それを食べるとき・・・、神のようになる」でした。
人はこのとき、神と同じようになろうとしました。
人生をすべて自分で治めたい。だれからも命令を受けたくない。自分がすべてを決定したい。自分の思うようにすべてをしたい。自分が正しいと思うことがしたい。善悪は自分で決めたい。
「善悪の知識の木」が置かれたときに、神に従うか、自分が神になろうとするかどうかの心がチェックされるようになりました。
残念ながら、人は「神には従いたくない」という選択を選びます。
人生の主を神ではなく、自分にしようとした行為でした。その結果、神との関係が失われ、同時に本来の生き方ができないようになってしまったのです。
3 キリストによって回復された神との関係
キリストが十字架で死んでくださったとき、キリストは自分の思いではなく、神の思いに100パーセント従われました。聖書は、それによって、アダム以来罪に定められていた私たちに「いのち」があたえられたと語っています。(ロマ5:18)
アダムの不従順によって失ったものを、イエスの完全な従順が取り戻したのです。
今も私たちには、「神になりたい」という誘惑と向き合うことが起こります。
神のことばより、人のことば。
神の約束より、この世の保障。
神の命令よりも、自分の思い。
神を喜ばすことより、自分の喜び。
それらは、アダムが直面した問題です。
神様だけに信頼を置きましょう。神様を疑わないで信じましょう。
人の言葉、自分の思いを一番上にしていないか考えて見ましょう。
私たちは神に造られた存在であり、神の元でのみ本当の価値ある生き方ができます。そして、私たちに圧倒的に豊かな恵み、祝福、備え(園のどの木からも)を与えておられることを忘れないようにしましょう。
【聖書】
創世記2章16節、17節
2:16神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
2:17しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」
創世記3章1節-24節
3:1さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」3:2女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。3:3しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」3:4そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
3:5あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」3:6そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。3:7このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。3:8そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。3:9神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」3:10彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」3:11すると、仰せになった。「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。」3:12人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」3:13そこで、神である主は女に仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」3:14神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。3:15わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」3:16女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのみごもりの苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」3:17また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。3:18土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。3:19あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」
3:20さて、人は、その妻の名をエバと呼んだ。それは、彼女がすべて生きているものの母であったからである。3:21神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。3:22神である主は仰せられた。「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」3:23そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。3:24こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。