CSテキスト2年目3月1週目

こひつじ参照


タイトル:「ゲッセマネの祈り」



聖書箇所: ルカ22:39-53

      (参照:マタイ 26:36-56、マルコ 14:32-50、ヨハネ 18:3-11)


導入:最後の晩餐のあと、イエス様はゲッセマネというところに行きました。

   何をしに行かれたのでしょう。そうです、神様とおはなしをするため、祈るために行かれました。

   そこでは、何が起こったでしょう。


1、 イエス様はオリーブ山へ行かれました(39-41節)


参照:マルコ14:32

イエス様が、べテロ、ヤコブ、ヨハネの弟子に、「わたしが祈る間、ここに座っていなさい。」と言われた。


イエス様は、弟子たちと最後の食事をしてから、オリーブ山に向かわれました。そこには、いつもイエス

様がお祈りするゲツセマネの園がありました。いつもの場所と書いてあるように、イエス様はイロイロな働

きの間も、群衆から離れて、よくこの場所で熱心にお祈りするときを持っていたのです。弟子たちもイエス

様のあとについていきました。ゲッセマネの園は、暗くとても静かでした。園の中に入るとイエス様は、弟子

たちに「誘惑に負けないように祈りなさい」と言われました。そしてご自分も弟子たちから少し離れた場所に

ひざまずいて、祈り始めました。  



*「ゲッセマネ」は油しぼりという意味です。

マルコ14:33 イエス様は深く恐れ、もだえ始められた。34 「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい。」


2、イエス様の祈りー(40-46節)


イエス様は一人になり、このように祈られました。「わが父よ、もしできることでしたら、どうかこの恐ろしい

杯をわたしから取り除いてください。しかし、わたしの思いのではなく、あなたのお心のままになさって下さ

い。」これは「神様、もし私が十字架にかからなくても、何かほかの方法で人々を罪から救うことが出来るな

ら、そうして下さい。けれども私の願いではなく、あなたの願いを行なって下さい。私はあなたに従います」

という意味です。

しばらく一人でお祈りされたあとで、イエス様は弟子たちの所へ戻って来られました。弟子たちは目をさまして待っていたと思いますか?いいえ、弟子たちはそこで眠っていました。イエス様は、ペテロを呼び起こして「あなたがたは一時間も私と一緒に目をさましていることが出来なかったのか」「誘惑を受けた時に罪を犯さないように、目をさまして祈っていなさい」と言われました。それからイエス様は、またお祈りに戻って行かれましたが、ペテロはすぐ眠ってしまいました。ペテロもほかの人たちも、イエス様がその晩のうちに連れ去られて、次の日には十字架の上で死なれるということがわからなかったのです。

二度目のお祈りの時、イエス様は「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行なわれますように。」とお祈りなさいました。これは、「どんなに苦しまなければならなくても、私は自分の考えや、思いを押しつけるのではなく、あくまでも神様がなさろうとしていることに従います。」ということなのです。このお祈りは、私たちには想像もできないほど苦しいものでした。イエス様は、父なる神様のみこころが、ご自分を十字架にかけることだと知っていました。そしてイエス様はいつでも、神様のみこころどおりにするのがご自分の使命であることも知っていました。けれども、この「十字架にかかる」ということは、本当に特別なことだったのです。十字架に、手や足をくぎで打ちつけられたら、どんなに痛いことでしょう。

十字架にかけられるのは、とても悪いことをした人だけですから、見物人たちにバカにされたり、「ざまあみ

ろ」言われたりするでしょう。それでも、神様が一緒にいてくだされば、イエス様は恐ろしくなかったでしょう。

ところが、イエス様の役目は、人間のすべての罪を背負い、身代わりとなって罰を受けることです。神様か

ら離れお一人で十字架にかけられるのです。それが、イエス様にとって何よりもつらいことだったのです。


1. イエス様は、自分が受ける苦しみがわかっていました。

2. できれば苦しみにあわずにいたいと正直に祈りました。

3. 自分の願いではなく、神様のみこころをおこなってくださいと祈りました。

*ルカ22:44は、汗が血のしずくのように地に落ちた。



3 イエス様は逮捕されました(47-53節)


ちょうどその時、声が聞こえてきました、大勢の人がたいまつと棒を持って、園にはいって来たのです。

「おい、イエスはどこにいるんだ?早くだせ。」とその人たちは怒鳴りました。イエス様を捕まえに来たのです。しかしその人たちは、誰がイエス様で、誰が弟子だかわからないのです。

その大勢の人たちの先頭に立って道案内をしたのは、なんと弟子の一人ユダでした。ユダがその人たちと一緒にいたのです。それは「銀貨30枚くれるなら、イエス様のいる所を教える」と約束したからです。ユダはイエス様を裏切ったのでした。ユダは「私がくちづけをするのがその人だから、つかまえなさい。」と言いました。そして一歩前へ出て「先生、いかがですか。」と言って、イエス様にくちづけをしました。ペテロはすっかり目をさましました。そしてイエス様を守るためにと興奮して、刀を振り上げて、一人の人の耳を切り落してしまいました。イエス様はすぐに、その耳を切られた人に触って直してあげました。イエス様はなんの抵抗もされずに、ご自分から捕らえられました。弟子たちは皆、こわがって逃げてしまいました。そしてイエス様だけ、敵につかまえられ、連れて行かれたのでした。


結論  イエス様は神様の思い(みこころ)に従われました


イエス様はこわがってはいませんでした。それは園の中で、「わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい。」とお祈りしていたからです。


①イエス様は父なる神様に従われました。もしイエス様が従わなかったら、私たちは救われませんでした。

イエス様は全世界の人が罪の罰を受けないように、代わって死ななければならなかったのです。あなたは、イエス様が神様の言う通りの事をして下さって、十字架にかかって下さったことを、本当に良かったと思いますか?「私の代わりに罪の苦しみを受けて下さって、イエス様、ありがとうございます。」とこころからお祈りしましょう。


②十字架にかかることは、神の子イエス様にとっても、本当に大変なことでした。イエス様は人となられてこ

の地上にお誕生になられました。ですから肉体的にも、精神的にもとても苦しまれたのです。イエス様は、「この杯を取りのけてほしい」と、ありのままの心を父なる神様に申し上げ祈りました。しかし、ご自分の願いを、どうしてもかなえてもらおうとは思わずに、「自分の願いではなく、神様のみこころがなされますように」と祈ったのです。私たちも、自分のありのままの気持を神様に申し上げ、そして私にとって最善をなさって下さる神様のみこころに従う力が与えられるようにと祈りましょう。


○イエス様の思いは、十字架にかかる前でさえ、神様のみこころをなさって下さいという決意の祈りだった。

○私達が祈る時、「ああして下さい、こうして下さい」と祈ってしまう。正直な祈りは大切です(もちろん私達のいのりを聞いてくださいます、が、それと同時に、最後には神様が一番良いと思われることをしてください、と祈っていこう。

○神様におまかせしていこう。




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