CSカリキュラム2年目4月第5週目

 

 

キリストの再臨への備え

 

テキスト マタイ25:31-46

参照箇所 マタイ10:42、黙示録22:12、へブル9:27

 

導入

羊ってどんな鳴き声をしますか?(メェー)そうですね。では、ヤギはなんて鳴くか聞いたことありますか?(メェー・笑)ある人は「ヤギはソプラノ、羊はアルト、牛はテナー」と言って、羊よりもヤギの方がちょっと高い声で鳴くそうです。姿も何となく似ていますよね~(画像なども見せながら)。鳴き声はなかなか違いが分からないですよね。でも羊とヤギは確かに違うんですね。

では、イエス様を信じている人と信じていない人の違いってなんだろうか?イエス様を信じている人も信じていない人も、同じ人間です。同じように生まれてきて、ご飯を食べて、やがては死にます。イエス様を信じていても信じていなくても、結局は死んでしまうのなら同じなんでしょうか?

イエス様は十字架にかかり、3 日目に甦って、天に昇られました(先週の復習)。そのイエス様はやがて私たちのところに来られます。その時、イエス様を信じて生きてきた人とイエス様を信じないで生きてきた人は、かけられる言葉が違うんですよ~。

 

ポイント1 イエス様は再び来られます(31-33節)

天に昇られたイエス様は、いつかは分かりませんが栄光の王として現れ、死んでいる人もみんな生き返って、全ての人々がイエス様の前に集められます。その時、羊飼いが羊とヤギを分けるようにして、イエス様を信じて生きてきた人々と、イエス様を信じないで生きてきた人々を右と左に分けられます。

「羊と山羊のたとえ」として知られているところですが、厳密な意味では「たとえ」というより、むしろ詩的に最後の審判の預言的描写をしています。マタイ16:27の成就が描かれています。(新聖書注解)

 

ポイント2 王は右側にいる人々を祝福します(34-40節)

栄光の王であるイエス様は、イエス様を信じて正しく生きてきた人たち11人の愛の業を自分にしてくれたこととして数え、永遠のいのちを約束します。イエス様を信じて正しく生きてきた人たちは、王であるイエス様に直接愛の業をした覚えがないと語ります。しかし王であるイエス様は、困っている人たちのため、最も小さい者たちの1 人にしたことは王にしたことだと言いました。

愛の業は、救いや御国に入る条件ではありません。イエス様を信じてきたことの結果として伴う証拠です。「正しい」というのは、その人自身の行いの正しさ・正義というよりも、神との関係の正しさのことでしょう。新共同訳聖書の旧約では、「正しい人」を「神に従う人」と訳しています。神との関係が正しく、真っすぐなものであり、神に従う人は、結果として隣人に対して愛の業を行うようになるということでしょう。

 

ポイント3 王は左側にいる人々をのろわれた者どもと言いました (41-46節)

栄光の王であるイエス様は、左側にいる人々がしてくれなかったことを数え、永遠の刑罰に入ることを伝えました。左側にいた人々は、王にしなかった覚えはないと言いました。王は困った人など最も小さい者たちの1人にしなかったことは王にもしなかったことだと言いました。

 

罪とは、悪いことをした結果のことではなく、神との正しい関係にない状態、的外れの状態のことを言います。行為そのものよりも、神との正しい関係にない状態が罪の状態なので、善を「しなかったこと」も罪であると聖書は示しています(参照ヤコブ4:17)。

 

結論 私たちが毎日の生活で行う親切(愛のわざ)は、どんなに小さくてもイエス様にしたこととして覚えられ、やがてイエス様が来られた時に大いに喜ばれます。

イエス様を信じて生きている人は、自分が忘れてしまっているような小さな親切でも、イエス様は「わたしにしてくれたことだ」と言ってくれるのです。嬉しいですね。私たちの小さな親切は死んでなくなってしまうのではなく、誰が見ていなくてもイエス様は見て知って下さっており、やがてイエス様が喜んでくれるのです。

 

誰が御国に入るのか、そして永遠の刑罰を受けるのかを決めるのは、神の支配の中にあることです。短絡的に、イエス様を信じていなかった人は全員が永遠の刑罰を受けるということを強調するのではなく、イエス様を信じている人々は永遠の命を得ることができることを強調し励ましましょう。(イエス様のことを知らないで生きた人たちのことについては、ロマ書2章などから考察することが出来るでしょう)

 

適用 (聞き手に最もふさわしい適用が与えられるように祈りましょう)

私たちがしなかった親切は、イエス様にしなかったことになります。私たちのまわりに困った人がいたら、自分に何が出来るかを考えましょう!それがどんなに小さなことでもイエス様にしたこととして、イエス様が大いに喜んでくれます。

 

1.先週、困ったなぁと思っている人に会いませんでしたか?

仲間外れにされている人、何かをなくしてしまった人、迷子になっている人、病気で学校を休んでいる人、手伝いを必要としている人、友だちがいなくて寂しそうにしている人などなど・・・そんな人たちのために自分は何が出来るか、考えてみましょう。

 

 

2.お祈りをして、小さな親切をする力をイエス様に頂きましょう。

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