CSカリキュラム2年目1月第3週目

イエス様のたとえシリーズ「金持ちとラザロ」


主題:金持ちとラザロ


聖句:ルカによる福音書16:19-31

暗唱聖句: マタイによる福音書25章40節 「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらの私の兄弟たち、しかも最も小さい者達の一人にしたのは、わたしにしたのです。」


目標:

このイエス様が語られたたとえ話は、多くの神学者の議論を生み出すほど、話しの内容に深い意味が含まれており、疑問を生み出す箇所である。この為、含まれる全ての意味を子供達に包括的に理解させるのは困難である。しかし、神様が聖書の中に記された重要なたとえ話の一つであり。人生の重要な真実を子供達にも伝えている。このセッションでは、あえてこのたとえ話を理解させることに焦点をおかず、子供達にこのたとえ話を紹介をすることを目標とする。 このセッションを通して、この真実が子供達の人生の中に留まり、永遠の観点から意義ある人生を生きるように励ます。


背景:イエス様のたとえ話


お話し:

あるところに金持ちと貧しい人ラザロがいました。

金持ちは財産を使って、贅沢で自分のしたいことをしてくらしていました。ラザロは貧しく、金持ちの残り物でももらえればと、毎日金持ちの家の前で物乞いをしていました。犬がラザロのできものをなめていました。


さて、時は過ぎ、二人は死んでしまいました。

ラザロは死んだ後、天使に連れられてアブラハムのふところにおくられました。金持ちは死んだ後、燃える火がある黄泉の中におくられました。

金持ち苦しみの場所からアブラハムとラザロを見て「私を哀れんで、ラザロを遣わし、火の中で苦しんでいる私の舌を水でぬらしてください。」

アブラハム「あなたは生きていたとき、良いものを受けていた、ラザロは苦しい人生だった。」今あなたはその報いを受けている。私のところとあなたの所には大きな淵があって行き来することは出来ない。」


金持ち:「ではお願いです。ラザロを私の家に送って、5人の兄弟にこんな場所に来ることがないように彼らの生活を改めさせてください。死んだラザロが彼らの所に行けば、彼らは変わると思います。」

アブラハム:「モーセと預言があります。たとえラザロが行っても、彼らは悔い改めません。」



ポイント:

大事なことですが、金持ちは贅沢な生活をしたから苦しい場所に行ったのではありません。しかし、金持ちは隣人であるラザロを愛さなかった事が問題でした。愛の反対は無関心です。金持ちは毎日苦しんでいるラザロを見ていたにも関わらず、関心を示さず、ラザロを助けませんでした。隣人を愛するという心は、神様を知っている心です。 「最も小さな者にしたのは、すなわち、神様にしたのです。」この聖句はマザーテレサの原動力にもなったのです。みんなの隣人はだれですか?


金持ちがアブラハムにお願いした、ラザロが5人の兄弟の所に行ったなら、悔い改めるだろうという言葉はもっともに聞こえます。しかし、「モーセと預言者」とは聖書のことです。また、死から生き返ったイエス様が実際によみがえったという事実があっても、この世にはイエス様を信じない人々がいます。信じない心を持っていたら、どのような事が起こっても信じられないし、逆に信じる心を持っていたら、聖書とキリストの復活は救われるために十分だということが分かります。


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