CSテキスト3年目9月2週目

聖書知識シリーズ「系図」

 

「イエス・キリストの系図」

 

 

【目的】

聖書に書かれている系図を通して、その目的・意味・メッセージを理解する。

今回は、マタイの福音書の冒頭に書かれたイエス・キリストの系図から学ぶ。

(今回は、同じイエスの系図であるルカ福音書との比較は取り上げない)

 

【みことば】

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1:12-13

 

 

【テキスト】

マタイ11節~17

 

(参考箇所)

アダム~セムの系図 創世記53節~32

セム~アブラハムの系図 創世記1110節~26

 

 

(注意点)

1 17節に、14代、14代、14代 とあるが、バビロン~キリストまでは13代になる。これは、マリヤを加えることにより14代となる。(もし質問があれば答える)

2 ルカ3章にも系図があるが、マタイの系図とはダビデ~ヨセフまでは名前が全く違っている。これには理由が諸説あり、混乱を招くので今回は取り扱わない。

※系図と血のつながりを混合しない。マリヤ(ヨセフ)からの生まれたイエス・キリストですが、ヨセフとの血のつながりはない。イエスは罪のない方として生まれた方、あくまでのマリヤの胎に聖霊によって宿った存在であること。              

 

 

 

1,系図の意味

 

マタイの福音書は、なぜ系図から始まっているのでしょうか。またなぜ系図が載せてあるのでしょうか。

 

それは、イエスが歴史上、実際に存在した方であることを証明するためです。ユダヤの人々にとって、系図は戸籍のようなものでした。もし、イエスに系図がなければ、イエスは戸籍をもたない架空の人物ということになってしまいます。昔話の桃太郎や、かぐや姫には、系図も戸籍もありません。しかし、実在のイエスは系図を、戸籍をもっています。イエスは、ヨセフとマリヤが人口調査のために、本籍地であるベツレヘムに来ていた時、そこで生まれ、その時、ヨセフ、マリヤとともに戸籍に登録されました。イエスは「むかし、むかし、あるところに」生まれた物語の人物ではなく、皇帝アウグストの時代、クレニオが総督であった時、ベツレヘムで生まれたお方です。アブラハム以来、四十人以上の先祖をたどることができる実在の人物です。物語の中のヒーローはどんなに強くても、私たちを救うことはできません。この地上に生まれ、生き、死なれ、そしてよみがえられて、今も生きておられるイエス・キリストだけが私たちを救うことができるのです。

 

 

 

2 アブラハムの子孫、ダビデ王の子孫として生まれたイエス

 

この系図では、アブラハムの子孫、ダビデ王の子孫であることが強調されています。

イエス・キリストが約束されたメシヤであり、王として来られたことを伝えるためでした。

 

アブラハムとダビデのふたりが、特別扱いされていますが、それは、キリストがアブラハムの子孫から、またダビデの後継者から出るとの約束があったからです。イエスは、今から二千年前に生まれましたが、そのさらに二千年前、神は、数多くの民族の中からアブラハムを選び、彼に「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:2-3)と言われました。これは、すべての人を祝福するキリストがアブラハムの子孫から出るとの預言でした。

 

 神は、多くのユダヤ人の中から、さらにダビデを選びました。そして、ダビデに「わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしのために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」(サムエル第二7:12-13)と約束しました。この約束は、ソロモンによって成就しましたが、それは完全な成就ではありませんでした。ソロモンの後、国は南北に分裂し、北王国はアッシリヤに、南王国はバビロンに滅ぼされ、イエスが生まれた時、ユダヤの王であったのは、ダビデの子孫どころか、ユダヤ人でもなかったヘロデだったのです。「あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」(サムエル第二7:16)との約束は、イエス・キリストが復活して、永遠の神の国の王として、神の右の座に着いたことによっ成就しました。このように、キリストはアブラハムの子孫であり、ダビデの子でなければならないのです。

 

 

3 女性の名前

 

この系図の特徴は、系図の中に女性の名前が登場することです。

タマル、ラハブ(遊女)、ルツ(異邦人)、(ウリヤの妻:バテシバ)、そしてマリヤ。

当時の社会では、男性が重んじられて、女性は軽んじられた存在でした。しかし、創世記の最初の創造でわかるように、神の前で男女は共に尊い存在でした(創1:27、2:23)。ただ、罪が入った時から、そこに差別が生まれたのです(創3:16)。

 

しかし、イエス・キリストの系図には、堂々と女性の名前が書かれていて、当時の常識では考えられないことでした。さらに女性であるばかりでなく、ユダヤ人が最も嫌う異邦人(外国人)や卑しいとされた職業の人も含まれています。

 

ユダヤの人々はたいへん系図を重んじ、由緒正しい血筋を持っている人だけが、神の前に特別な立場を持つことができると考えていたのですが、この系図は、人は血筋によってその価値が測られたり、神の前に立場を得たりするのではないということを教えています。神は、系図を使って、系図を誇っている人々の間違いを正そうとされたのです。

 

イエス・キリストはこの世の考えからくる立派さではなく、弱い人、この世で評価されないような人、罪人の私たちを大事にしておられる救い主として来られたことを教えています。

 

 この系図を見ると、「バビロン移住」ということばが繰り返されています。「移住」といっても、イスラエルの人々が自らの意志でバビロンに行ったのではありません。彼らは罪を犯したため、バビロンによって国を滅ぼされ、捕虜となって無理やり、バビロンに引っ張られていったのです。この系図は「アブラハムからダビデまで」と「ダビデからバビロン移住まで」「バビロン移住からキリストまで」と三区分されています。「アブラハムからダビデまで」は、いわば、上昇過程と言えるでしょう。アブラハムに約束されたように、その子孫は増え広がって一つの国をつくるまでになるのですから。ところが、ダビデから「バビロン移住」までは、下降線です。人々は信仰を失い、神に対して不従順になり、国は乱れ、ついに滅びます。「バビロン移住からキリストまで」は、もっと下降線をたどります。ユダヤにはもはや王は無く、ペルシャやエジプト、ローマといった大きな国に蹂躙されてきました。ダビデの子孫の名前がバビロン移住以降も書かれていますが、この人たちがダビデの子孫であったことに誰が注目したでしょうか。彼らは、まったくの庶民となり、貧しく、苦しい生活を強いられたのです。ここにいたっては、系図も、血筋もまったく無力です。しかし、キリストはそんなどん底の中から、人々を救い出すお方として、生まれてくださったのです。救いは、ダビデやソロモンのように、神の民がもっとも栄えた時代に、彼らの力でもたらされたのではなく、彼らが国を失い、その存在すらも危うくなった時に、ただ神のあわれみにより、神の恵みによってもたらされたのです。この系図は、救いが血筋によらず、ただ神の恵みによってもたらされることを示しています。

 

 この系図には五人の女性の名前が出てきます。三節に「タマル」、五節に「ラハブ」と「ルツ」、六節に「ウリヤの妻」、それから十六節に「マリヤ」です。聖書の系図は男性の名前だけが書き連ねられ、女性の名前が載らないのが普通です。たとえば、創世記第五章などを見ると、「アダムは、セツを生み、セツはエノシュを生み…」と書いてあります。カソリックの司祭でバルバロという人が訳した聖書では、この、マタイの福音書の系図も「アブラハムはイザアクを生み、イザアクはヤコブを生み…」となっています。これを読んだある人は、「エッ、アブラハムって女性だったんですか」と言ったそうです。もちろん、この「生んだ」は「アブラハムはイサクを出産した」という意味ではなく、子孫を得たという意味ですが、それほどに、ユダヤ人の系図は男性中心だったのです。なのに、わざわざ女性の名前が出てきて、しかも、その女性たちが、それぞれいわくつきの女性だったというのには、理由があります。

 

 まず、タマルですが、彼女は、ユダの嫁でした。タマルは夫が亡くなったために、当時の規定に従って、夫の兄弟に嫁ぐことを待っていたのですが、ユダはその約束を守りませんでした。それで、タマルは遊女のふりをして、舅であるユダと関係を持って子どもをみごもりました。ユダのスキャンダルをわざわざ思い起こさせるようにしてタマルの名前がここに出ています。次の「ウリヤの妻」にはバテシバというちゃんとした名前があるのですが、その名前は使われず、「ウリヤの妻」と呼ばれています。それは、忠実な家臣ウリヤから妻をとりあげて自分のものにし、ウリヤを戦場で殺させた、ダビデの罪を思い起こさせます。これらの女性の名前は、イエス・キリストの立派な系図を汚すかのように見えますが、聖書はわざわざ彼女たちに触れて、アブラハムからキリストにいたる人々の歴史が、このように人間の罪や弱さにまみれたものだということを教えようとしているのです。イエスは、神の子として罪を持たずに生まれましたが、しかし、同時に、人類が、長い歴史の中で積み重ねてきた罪をその身に背負うために、長い世代の系図の終わりに、罪深い人類の子孫として生まれてくださったのです。

 

 そして、この系図は、キリストの救いは、信仰によって受け取るものであることをも教えています。ラハブは、エリコの町の遊女でした。ほんらいは、滅ぼされるべきカナンの女だったのですが、イスラエルから遣わされたスパイをかくまうという大胆な信仰によって救われ、イスラエルの一員となりました。ルツは、イスラエルの会衆に加えられてはならないモアブの女性でしたが、その献身的な信仰によってダビデ王の曾祖母となったのです。そして、最後にマリヤは、当時「異邦人のガリラヤ」と呼ばれた、ガリラヤ地方の一少女にすぎませんでしたが、その従順な信仰によって救い主の母となるという栄誉を得たのです。

 

4、救いを示す系図

 

 この系図は、イエスが、単に、由緒正しい家系に生まれた高貴なお方であるということを言おうとしているのではありません。イエスは、罪にまみれた者、どん底にある者を、救うために世に来られたと言っています。

 

マタイは、ユダヤ人の重んじる系図を冒頭にもってくることによって、イエスはキリストであることを証明しましたが、それと同時に、アブラハムにさかのぼる系図を持たない異邦人も、恵みにより、信仰によって救われると宣言しているのです。人は、系図によってでも、血筋によってでもなく、ただ神の恵みによって救われることを、この系図は証明しています。

 

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1:12-13

 

 

 

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