1年目/6月/第2週目
聖書物語シリーズ
テーマ「イサクをささげる-従いきったアブラハム」
テキスト 創世記 22:1-19
参照箇所 ピリピ 2:8、I コリント 10:13、ヘブル 11:17-19、12:5-11、ヤコブ 1:2-5
暗唱聖句(教会で使用している聖書訳を記入して下さい)
創世記 22:14
導入
あなたにとって宝物ってなんですか?それを捧げなさいと言われたらどう思いますか?今日はアブラハムがその宝物を捧げなわいと言われた話です。
1 神様はアブラハムに試練を与えました。(22:1~5)
1節に「神はアブラハムを試練に会わせられた。」とあることから、これは神が与えた試練であることが
わかります。神様がアブラハムに与えた試練は、尋常なものではありませんでした。アブラハムが25年間も祈り続け、待ち続けて、ようやく与えられた唯一の子どもイサクを、全焼の生け贄として捧げる命令でした。 驚くべきことに、アブラハムは翌朝には神が指定されたモリヤの山に行く準備をしました。そして、イサクと二人の若者を連れて出発してしまったのです。神が指定されたモリヤの山までは、三日間の路程でした。その間、アブラハムがどのような気持ちで歩んだかは定かではありません。ただ、決して楽で平安な旅ではなかったはずです。(アブラハムの心の葛藤を、創造しながら話すのも良いでしょう。)
モリヤの山の直前で、アブラハムは若者二人を残しイサクと二人だけで山に向かいました。試練は常に
神と1対1で向き合うべきことがこのことからもわかります。
✎全焼の生け贄は、「神様に完全に従います」という献身への意味がありました。そのことからも、神が
アブラハムに「私を信頼するか?」と問いかけていることがわかる。
2 アブラハムは神様の命令に従いました。(3-9)
アブラハムがイサクに薪を背負わせたのは、彼がすでに100歳を超える老人であったからであろう。
自分の息子を生け贄にする薪を、背負わせる彼の気持ちはどのようなものであったのだろう。(このとこ
ろでも、アブラハムの気持ちを創造しながら語ると良いでしょう。) 薪を背負わせられたイサクは、生け贄となる羊がいないことを不思議に思っていたようです。父親のアブラハムに「捧げものはどこです
か?」とイサクは聞くが、アブラハムの答えはただ神に信頼せよと言う返事でした。
目的地に着くと、アブラハムは祭壇を築きあげました。(この時もイサクが手伝っているはずです。)そ
の後、アブラハムはイサクを縛り上げます。そして、薪を引いた祭壇の上にイサクをのせました。不思議なことに、イサクはこの場面でまったく抵抗を見せていません。まるで、初めから分かっていたように素直に従っています。このところからいかにイサクが、父アブラハムと神を信頼していたかが分かります。
父の信仰をイサクは、しっかりと受け継いでいたようです。
✎この所だけで、アブラハムの気持ちを創造すると、単なる憶測で終わってしまいます。
ヘブル11:17~19を読んで参考にしましょう。彼の神への信仰姿勢がよく分かります。
3 神様は命令に従った二人を祝福してくださいました。(10-19)
アブラハムの決意は固まっていたようです。私達からはありえないと思うような行動に彼は出ます。自
分の息子イサクに刀を突きたてようとしました。その時、神の御使いが止めに入りました。「わたしにささげた。」と言う12節の言葉やヘブルの11:17~19から、アブラハムが神を信頼しイサクを自分の持ち物としないで、神に委ねて手放していたことが分かります。神に信頼するとはどういうことかがこのところから学べます。
この試練を乗り越えさせてくださったのは、神ご自身でした。アブラハムは自分の信仰を表す(信じる)
だけですむように、神ご自身が捧げものを用意されました。やぶに角を引っ掛けた一頭の雄羊が用意さ
れたのです。 アブラハムはその場所をアドナイ・イルエ「主の山の上には備えがある」と呼ぶようにしました。 神は今日も変わることなく、私達のために一番良い方法や物を用意してくださっているのです。
その後神は、再びアブラハムを祝福されました。(15~18)神は「私は自分にかけて誓う」と、約束したことは必ず守り果たすことを宣言されました。しかし、そこには私達の知るべき大切な姿勢もあります。それは18節にあるように、「あなたが私の声に聞き従ったからである」と神に信頼することを、神ご自身に学ばせていただくことです。
✎ポイント3を考えるにあたりメッセンジャーは、ピリピ2:8からイエスの姿勢や、Ⅰコリント10:13から神様の試練に対する配慮をしっかりと読んで心得ておきましょう。
結論: 神様の命令は厳しくても従おうとする人を、神様は祝福します。
暗唱聖句を読み上げます
適用
アブラハムが一番大切な独り子イサクを捧げました。父なる神様も私たちのために独り子なるイエス
様を捧げてくださいました。それほどまで私たちは愛されています。この愛の神様に、私たちもどんな試練があっても従っていきましょう。