1年目/9月/第3週目
「聖書物語シリーズ」
5:6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。
5:7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
目標
神が愛なるお方であることを知る。
神の愛を正しく理解する(人間的な愛と区別して理解でする)
導入
導入今日も、神さまのご性質について、お話します。神さまの愛とは、どんな愛でしょう?恋愛ドラマの愛と同じでしょうか?
1、人間の愛(神さまの愛は、私たち人間の愛とは違います)
7節に「正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう」とあります。これが人間の愛です。私たちは、「性格がいいから愛する」とか「親切にしてくれるから愛する」とか、相手に愛するだけの値打ちがある場合に、相手を愛することができます。
2、神さまの愛は、ただ私たちのためだけを思って、値なしに注が
れる愛です。
神さまは「私たちがまだ罪人であったとき」(8節)愛してくださいました。
また、「弱かったとき」、「不敬虔な(神さまに従わない)者」を愛してくださるのです。
私たちの方からは、神さまに何もよくしてあげられなくても、神さまは何も得をしなくても、
私たちのことを「高価で尊い」といって大切に思ってくださるのです。
3、神さまの愛は神さまの方から進んで、ご自身を犠牲にしてくだ
さる愛です。
1)十字架は神の愛そのものです。
イエスさまは、罪人である私たちのために「進んで」、「死んでくださった」のです(7-8節)
十字架のみわざは、神さまの愛のご性質そのものなのです。このようにして神さまは、ご自身の愛を明らかにしてくださったのです(8節)
またこのように書かれています。
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(Iヨハネ4:10)
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」
(ヨハネ15:13)
2)アガペーの愛
このような愛を、人間の愛と区別して、「アガペー」の愛と呼びます。聖書の原語で神さまの愛を表すことばです。
3)神は愛です。
聖書は、「神は愛です」(Iヨハネ4:8)と言っています。
神さまのご性質の中で、愛というのは非常におもだった重要なものです。
ですから、神さまのことを知りたいと思ったら、神さまの愛について知ることがとっても大切です。
Iヨハネ4:8,4:10
4:8 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を 遣わされました。ここに愛があるのです。
4)本当の愛とは
聖書には神の愛(本当の愛)について教えています。これは、まさにアガペーの愛の描写です。
Iコリント13:4-8
13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。
13:7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待しすべてを耐え忍びます。
13:8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。
適用例
私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさいとあります。
神さまの愛がどんな愛か分かったら、そのように家族やお友だちを愛せる人になりましょう。
どこの国の人も、こどももお年寄りも、やさしい人もイジメっこも、みんな神さまに愛されています。
どんな相手にも、自分から進んで犠牲を払う、究極の神の愛をあらわせる人をめざそう!