1年目/7月/第4週目
「聖書物語シリーズ」
本論Ⅰ シナイ山麓での宿営までの道のり
※シナイ山・・・シナイ山は富士山のように単独でそびえている山ではなく、ホレブ山脈の中の一つの群れである。シナイ山の前には広い平地が広がっている。それを「シナイの荒野」と呼ぶ。イスラエルの民はエジプトを脱出後、雲の柱、火の柱に導かれシナイの荒野を目指して進んでいく。
①<マラの泉>出エジプトから三日目にマラというオアシスに到着。飲み水がなく喉が渇いていた民は泉に殺到するが、その水は塩分を多く含んでいたため飲み水に適さず、おおいに失望した民は、モーセに向かってつぶやく。モーセが神に祈ると1本の木が示された。その木を泉に投げ入れると、水は甘くなった。
②<シンの荒野>移動が進むとまもなく食料がなくなる。民はエジプトの方がましだったと文句を言い始める。この苦境に対して神は驚くべき解決策を与える。うずらの一群が宿営地に降り立ち、手で捕まえ思わぬご馳走を手に入れることが出来た。朝には、天からパンであるマナが与えられた。これは、超自然的な奇跡である。うずらは単発的な奇跡であるが、マナは断続する奇跡であった。
※マナへの補足・・・ヘブル語で「マン・ナァ」というのは「これは何だろう?」という意味である。マナは食物であるが、同時にイスラエルの民を訓練するものとなった。一日に集める量は定められた。また、集めたマナは翌日までは残しておいてはいけないと神は命じたが、それに違反するものが出てきた。次の朝まで残したマナは、虫がわき、悪臭を放った。(一日一日を神様にゆだねる訓練)安息日の前日だけは例外でマナは腐らなかった(マナ→いのちのパンであるイエス・キリストの型である)
③<レフィディム>このオアシスには十分な水がなかった。ここで、また民はつぶやく。モーセを石打で殺そうとするものも現れる。民が暴徒化する直前で神の介入があった。モーセは神に祈り、ホレブの岩山の岩を杖で打った。打たれた岩の間から大量の水がほとばしり出た。それは大川になって、民の宿営地のそばまで流れていった。モーセはこの地をメリバ(争い)と名づけた。(打たれた岩→イエス・キリストの型である)
翌日アマレク人との戦いがおこる。ヨシュアの指揮で戦うが、モーセが手を上げて神に祈るうちはイスラエルが有利となる。疲れたモーセの腕をアロンとフルが支えて、イスラエルの勝利となった。
本論Ⅱ シナイ山麓での宿営
イスラエルの民は未だに自分たちがどのような目的のためにエジプトから解放されたのかを理解していなかった。国造りの基本理念というものもなかった。
シナイの荒野に宿営を置き、モーセはシナイ山に登り、神に国造りの基本理念を40日の断食をもって求める。
神はモーセに5章と呼ばれる、トーラー(律法)をシナイ山頂でモーセに語りかけ与える。その中心となるのが十戒である。(シナイ契約)
モーセがシナイ山の山頂にとどまったのは40日であった。宿営地で待っていた民はモーセが長い間、山から下りてこないため、モーセが死んだと思う。
「モーセが死ねば、もはや神の先導が無くなってしまう。それなら自分たちで見に見える神を作ろう」それが民の理屈であった。そして彼らが作り出したのは、金の子牛であった。モーセの兄、アロンもこれを止めれなかった・・・。
怒ったモーセは神の指で書かれた十戒の石の板を岩に投げつけて壊す。
モーセは再び山頂に登り、そこで40日の断食をし、もう一度、十戒をいただく。
今度ばかりはイスラエルの民も、モーセの言葉に信頼を置き、静かに帰りを待った。
本論Ⅲ 幕屋建設(礼拝を教えられる)
シナイ山頂でモーセは神様から礼拝のために必要である幕屋の作り方、材料を詳しく聞いていた。その内容を民に伝達し、神様の要求通りのものを建設する。
ちょうどエジプトを出て一年たったころ、幕屋は完成する。
栄光の雲はイスラエルの民が旅路にある間、いつも彼らの先頭に立ち、彼らを導いた。夜は火の柱で。栄光の雲(神の臨在)は幕屋の至聖所に宿る。
これでイスラエルの民は律法、幕屋、司祭制度を神から与えられ、国として体制を整えた。「祭司の国民」イスラエルが、いよいよカナンを目指して再出発を切る日が近づいた。(幕屋で犠牲になる動物→イエス・キリストの犠牲の型である)
結論(適応)