1年目/9月/第2週目
「聖書シリーズ」
目標
・聖書の成り立ちを理解し、聖書がすべて神のことば(神の霊
感をうけたもの)であることを信じる聖書は神のことばであ
る。これを信じるかどうかは、それ自体が神を信じるかどう
かと同じ意味になる。また、聖書をどのよう信じるかは、神
をどのように信じるかにつながる。神のことばである聖書へ
の信頼が神への信頼になり、神のことばである聖書に対する
姿勢が、そのまま神への姿勢、関係となる。
・ある人のことばをどのように受け止めるかは、その人への関 係そのものであるのと同様である。
・この単元では、こども達が聖書をどのように受け止めるかに 重点を置いて進めたい。
※子供たちの中に、聖書が”全て””神の霊感”で書かれたもの、つまりすべて「神のことば」であることが明確に示されることを強く意識して教授してほしい。
(聖書の成り立ち)
聖書
旧約聖書・・・ヘブル語(一部アラム語)
新約聖書・・・ギリシャ語
モーセは5巻の律法を書き、契約の箱の傍らに置いた。ヨシュアはこれに彼の記録を付け加え、サムエルが更に物語を続けっていった。預言書が加えられ多くの書が収集されていく。旧約聖書が成立する(正典される)のはB.C586(捕囚)後まもなくである。エズラとネヘミヤが中心となり正典化する。新約聖書は、当時特定の教会にあてられたものを他の教会へも写しとして送られた。A.D.四世紀にこれらの使徒的書簡がまとめられ正典化された。
ポイント
1.すべて(神のことばである)
聖書がすべて神のことばであると信じるかそうでないかは、信仰を形作る上で非常に重要である。
人間はすぐに神のことばを自分の基準や、常識で判断し解釈しようとする。それは、アダムから来る罪の性質、姿の本質である。神のことばである聖書を、納得できるところは信じ、そうでない部分を人間の理解で治めようとすることは、おちいりやすい罪の性質である。
聖書は神のことばを”含んでいる”というような誤った考え方によって、処女降誕、キリストの神性、奇跡、代償的贖罪など、人間の理性では本来理解できないが、キリスト教信仰において中心的な教えが否定されることにつながる。
・聖書に対する考え方の典型
×聖書は神話であり、また人間の経験、知恵から生み出されたもの(人間が生み出したもの)
×聖書は一部は神のことば+一部は人間の知恵、神話(神と人間の共同作業)
○聖書はすべて神のことば(神からの一方的な啓示)
・聖書に対する間違った姿勢の例
・カトリック・・・教会(教会という組織)が聖書の権威を承認
していた。つまりローマ法王のことばの方が、聖書よりも上 であった。
・ある教派(アナバプテスト派)・・・個人に対する神の啓示
を重要とし、時には聖書を無視してもよいという立場を持っ ている。
2「神の霊感を受けて書かれた」
・「霊感する」とは「息を吹きかける」という意味。
・聖書は「神が息をされた」書である。
・聖書の記者たち、新約の使徒たち、イエスキリスト自身も、
聖書が神の霊感を受けてかかれたことを信じていた。
・旧約の記者たちは、自分たちが神のことばを記録していると
確信していた。
・「主はこう言われる」という句は旧約聖書中に2000回以上
も出てくる。預言者たちは、神が彼らの言葉を通して語って
おられると信じていた。
ダビデ(Ⅱサムエル23:1-3)
イザヤ(イザヤ8:1、11)
エレミヤ(エレミヤ1:9)
パウロ(Ⅰコリント14:37、Ⅰテサ2:13、ガラテヤ1:11、
12)
イエス(ヨハネ10:35)「聖書のことばはすたれることがな
い」
(マタイ5:18)「天地の滅び行くまでは、律法の一
点、一画もすたれることはなく、ことご とく全うされる」
(参考)・・・「霊感」
聖書の「霊感」に関する一般的な理解
1、「霊感」と「啓示」は同じ意味ではない
「啓示」・・・知らなかった真理が直接示される
「霊感」・・・「啓示」に加えて、聖霊が取材と選択と編集の過
程を監督し導きをあたえられた。
2、「霊感」は単なる「啓明」ではない。
霊的識別力、霊的洞察力というものではない。
3、「霊感」は「口授」ではない。
記者の思想、判断を支配し、個性を反映するような用語を用いて表現することを許された。
4、聖書の「霊感」とは、聖書記述をすべて神が承認されたことを
意味するものではない。
ヨブの友人の発言、悪魔の発言を承認しているわけではない。ただ記述された全ての言葉、出来事が正確に記録されていることを保証している。
5、聖書は「部分的」、単に「標準的」に霊感されているわけでは
ない。
「道徳的、精神的だけでなく、歴史的、地理的にもあらゆる分野に関して霊感されている」
適用
1、聖書をすべて神のことばであると信じる。
2、神のことばをなおしたり、付け加えない。
→神のことばである聖書を、そのまま素直に信じ、受け止める。