1年目/9月/第4週目
「聖書シリーズ」
「聖書が人生にとってより具体的な土台となるように、励ましとなるように」
日本でも、聖書の言葉で人生が変わり、歴史に大きな影響を与えた人がいます。
京都にある同志社大学を創った「新島襄」という人物です。
同志社大学は、明治時代に活躍した、多くの有名なクリスチャン達を輩出しました。
その新島襄の人生を大きく変えて、生涯導いたのは聖書でした。
「初めに、神は天地を創造された。」(創世記1:1)
この聖句は聖書の最初のみことばですね。また、神による天地万物の創造を告げる中心的な聖句です。この聖句との出会いが、キリスト教信仰に導かれるきっかけとなりました。
時は江戸時代の末期の1860年、新島襄18歳のときでした。宣教師が発行した聖書の小冊子(漢訳。完全な聖書ではなく主な言葉を抜粋したもの)を友人の部屋で見つけ借りて読んだのです。しかし当時、日本では聖書を読んだだけで家族ごと死刑なる時代でした。ひっそり隠れるように聖書の言葉を読むなかで、彼は、その時、書き出しの創世記1章1節の言葉に深く心が打たれたのです。
「初めに、神は天地を創造された。」(創世記1:1)
彼はその時のことをこの様に語っています。
「私(新島襄)はその本を置き、あたりを見まわしてからこう言った。
『誰が私を創ったのか。両親か。いや、神だ。私の机を作ったのは誰か。大工か。いや、神は地上に木を育てられた。神は大工に私の机を作らせられたが、その机は現実にどこかの木からできたものだ。そうであるなら私は神に感謝し、神を信じ、神に対して正直にならなくてはならない』」。
新島襄はもっとちゃんとした聖書を読みたいという気持ちが大きくなっていきました。
なおも読み進むにつれて、ここに真理がある、という確信するようになりました。そんな中でも、特に素晴らしいと思える聖書の言葉に目が止まります。
ヨハネによる福音書3章16節、
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」
彼はこのみことばに希望を見出します。
彼は偶像を捨て去って、アメリカに行く決意をしました。しかし、当時は外国に出国することは死刑でした。しかし、創造主なる神との出会いは、家族思いの彼をして、家族を残して国を捨てることも乗り越えさせたのでした。
小さな、小さな聖書の一節は、新島襄の心をとらえて、天地創造の神と出会わせたのです。21歳、1864年6月14日の夜半、アメリカ商船ベルリン号に乗り込みます。
それから、一年かけて大西洋経由でボストンに向かったのですが、途中の香港で新島は聖書を買いまます。脱国するときにほとんどものを持っていなかったのですが、高価なものを一つだけ持っていました。刀です。彼は刀を売って、初めて漢訳(中国語)の聖書を買いました。この聖書はすべてが揃った漢訳の聖書です。彼は初めてすべてが揃った新旧約聖書と出会うことになります。
1865年7月20日、新島襄は、ボストンに降り立ちました。
港に到着したとき彼は次のように祈りました。
「神よ、もし目があるならば、どうか私を見出してください。耳があるのなら、どうか私の話を聞いてください。私は聖書を読みたい、聖書の教義を極めたいと思い続けてここにきたのです。」
1866年、洗礼を受けクリスチャンになりました。しかし当時のアメリカは南北戦争が終わって経済的に大変な時代ですで、アメリカ人ですら職を見つけだすことが難しい時、町に入れば失業者が溢れているような状況で外国人の新島がボストンにたどり着いたところで行くあてもなく。もちろん身寄りもありません。しかし親切な人と出会い養われて行きます。ついには大学へ進学、1870年には卒業します。歴史上、日本人が正式に大学を卒業した最初の人になりました。
日本はその間、大きな時代の変化が起こりました。江戸幕府の時代が終わり、明治になりました。 日本から使節団(岩倉使節団)がアメリカに来た時に、通訳を務める重要な役割に選ばれたのです。一度、捨てた(失った)と思った日本人としての立場はこの時に正式に取り戻されることになりました。神様を第一とした時に、神様は必要なものを取り戻してくださるのですね。
やがて、日本でのキリスト教に基づく教育の必要性感じるようになり、神学校で学んだ後に日本に帰国します。やがてそれは同志社英語学校(同志社大学の前身)の設立につながっていったのです。
新島襄と聖書の出会いの中で、実際に彼が"英語"の聖書を自分のものとして手に入れたのは高校時代の友人から贈られた聖書でした。この英語の聖書を新島は生涯愛用することになります。この新島が生涯愛用した聖書は、新島がアメリカ時代の最も初期のころにもらって、最後亡くなるまでずっと持ち続けていた聖書で、現在も保管(同志社に)されています。
至るところに赤と青の色鉛筆で印が入っています。欄外に細かいたくさんの書き込みがあります。旧約聖書から新約聖書までほぼ満遍なく丹念に読んでいたことがわかります。申命記とかレビ記のような、普通読むことをあまり好まれない箇所を新島が丹念に読んでいることもわかります。
聖書によって新島襄は生かされ、導かれ、そして同志社をつくるということを含め、生涯を導かれていったことを語っています。
また、彼が渡米する以前に夢中になって読んだとされる『ロビンソン・クルーソー物語』も、至る所に聖書のみ言葉が出てくる本であったことも何かのつながりを感じさせるものです。