CSテキスト2年目11月第3週目
教理シリーズ「救い」
「十字架と救い」
【暗唱聖句】
ヨハネ 3:16
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」
【概要】
11月は、2回を通じて罪と罪の本質を学んできました。
今回は、その罪の為にイエス様が架かって死んでくださった十字架と救いについての学びです。
罪を道徳的にとらえてしまうと、神との関係が弱くなります。罪の最も悲惨な結果は、神との断絶です。
十字架を通じて私たちの罪が許されることは確かですが、それ以上の意味は何でしょうか。
それは、十字架を通じて神との関係が回復されることです。
1、 わたしたちには救いが必要です。
すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができません。(ローマ 6:23)
2、救いの約束
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」
を具体的に読むとこうなります。
「神は、実に、そのひとり子(イエス様)をお与え(十字架で身代わりにされる)になったほどに、世(わたし)を愛された。
それは、御子(イエス様)を信じる者(わたし)が、滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」
(1)神様は、どれほど私を愛しておられるでしょうか?
それはイエス様を十字架で失ってもいいと考えるほどでした。
「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」ローマ5:8
それは、あなたの罪の代価(罪をゆるすための費用・犠牲)のためにです。
神の御子イエス様が、十字架の上で死んでくださった時、あなたの全ての罪の支払い完了してくださいました。
「イエスは、酸いブドウ酒を受けられると、『完了した』を言われた。ヨハネ19:30
(2)永遠の命を持つ
イエスを信じる人は、永遠の命を持つことができます。
永遠の死と神からの断絶の代わりに、永遠のいのちが与えられます。
・ 罪が赦されます
「この御子のうちにあって、私たちは贖い、すなわち罪の赦しを得ています」(コロサイ1:14)
・ 神の子とされます
「しかし、その方(イエス)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子とされる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:12)
・ 永遠のいのちを持ちます
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」
(ヨハネ3:16)
3、 回復の道
十字架の死によって、私たちと神様との間に断絶をもたらしていた一切の罪が解決されました。
それは、再び私たちが神様との関係を持つことができるようになることです。
良い行いをしても、神様との関係は切れたままです。良い行いは大切です。しかし、神様との交わりを持つ(回復する)ためには、どんなに良い行いを積んでも役に立たないのです。
私たちがどうにもできないこの問題のために、神様が自ら解決の方法を与えてくださったのです。
神様と私たちが断絶(死)していることはどんなことなのでしょうか。
例えば、赤ちゃんが親からの完全な断絶を受けることが想像できるでしょうか。
昨日まで優しく見守ってくれていた両親が、今日からどこにもいない。会うこともできなければ、言葉を交わすこともできない。食事も、家も、何をするのかもわからない。その様な子供がひとりで生きていくことができるでしょうか。精神的にも実際的にもほとんど不可能です。
罪を犯した人間は、神様と断絶してしまった存在です。
自分を本当に愛し、養ってくださる不可欠な存在を失った状態です。神の目からは、失われた羊になっています。その神との関係を回復するためには、罪を持たないことが必要ですが、それは人類には不可能でした。
そしてその結果は、罪の結果の悲惨な出来事、迷い、失望、悲惨、悲しみ、恐れ、不安、です。
しかし、神様は、イエス様の十字架の死によって、その神との関係を断絶させてしまっていた罪を完全に解決してくださったのでした。
4、 個人的にイエスキリストを自分の救い主として信じる
もしわたしたちが、個人的にイエス・キリストを救い主として信じるならば、永遠の命、そして神との関係の回復を持つことができます。
教会に来ているから救われるのではありません。お父さんお母さんが救ってくれるのでもありません。
自分で、自分の心でイエス様を救い主として信じることによって救われるのです。
「愛するイエス様、
わたしは罪人です。あなたの赦しが必要です。あなたが私の罪のために死んでくださったことを信じます。
わたしの罪をお赦しください。あなたを私の心と、私の人生の中にお招きします。あなたを主(第一)として、救い主として、信頼し従っていきたいです。」