CSカリキュラム2年目1月第4週目
イエス様のたとえシリーズ「岩の上に建てた家」
岩の上に建てた家
テーマ:みことばを聞いて、実行する
聖句:マタイ福音書7:24-27
参照箇所 ルカ6:46-49、ヤコブ1:22-25
暗唱聖句 マタイ7:24 or ヤコブ1:22
導入
イエスさまは山の上でたくさんのことを教えてくださいました。
(例えば、平和をつくる人になりましょう、右の頬をぶたれたら左の頬を出しましょう、お祈りのしかた等)
そして最後にたとえ話をされました。すばらしい教えを聞いたら、私たちは、何をすれば良いのでしょうか?
1 イエスさまはみことばを聞いて行なう人について話されました(24-25節)
イエスさまは、山の上での教えの最後にこうおっしゃいました。
「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。」
これは、「今(山の上で)あなたがたに教えた私のことばを聞いたら、それを実際に行なうことが大切ですよ」と言う意味です。
大工さんが家を建てるのを見たことがありますか? どんな家でも、まず土台から作ります。家の柱は、
すべてこの土台に支えられていますから、とても大切な部分です。このたとえ話の「賢い人」は、岩を土
台にして家を建てた人です。イエスさまの時代の家作りは、まず、地面の砂や土を深く掘ります。苦労し
て、時間をかけて深く掘り下げると、地面の下の岩が出てきます。その岩を土台として、柱を建て、家を
作っていくのです。
岩の上に建てた家は、しっかりとした土台に支えられているので、頑丈です。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れず、ビクともしません。
この例えで、「土台」と言うのは、イエスさまのことです(Iコリント3:10~12)。
また、雨や洪水、吹きつける風は、試練や誘惑のことです。つまり、岩の上に建てた家というのは、試練や誘惑があっても、決してイエスさまから離れない人ということです。イエスさまのみことばを聞いて、それを実際に行なう人は、どんな災害にあってもビクともしない、岩の上に建てた家のようになるのです。岩の上に家を建てる人は賢
い人です。
2 イエスさまはみことばを聞いても行なわない人について話されました(26-27節)
続けて、イエスさまは次のようにおっしゃいました。
「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」
地面の底の岩が出てくるまで、砂や土を掘るのは大変な作業です。現代と違って、ブルドーザーもショベルカーも無い時代ならなおさらです。しかし、面倒だからといって、砂の上にただ柱を立てただけで、手抜きをして家を作ってしまったらどうなるでしょうか?見た目は同じような家ができるでしょう。でも、洪水や風がくると、すぐに倒れて、グシャグシャになってしまいます。「ひどい倒れ方でした」と書いてあります。
みことばを聞いただけで、実際に行なわない人は、誘惑や試練があると、すぐにくじけたり、絶望したり、文句を言ったり、イエスさまから離れてしまうということです。
みことばを聞いても、それを実際に行なわない人は、そのような「砂の上に家を建てた愚かな人のようだ」とイエスさまは教えてくださったのです。
結論 イエスさまはみことばを聞いて、実行するように教えられました
みことばを実行して、どんなことがあってもイエスさまから離れない、信仰の人になろう!
みなさんは、毎週みことばを聞いていますが、実行していますか?聞くだけで、実行しないでいることは砂の上に家を建てる愚かな人のようです。試練があるとすぐに倒れてしまいます。それもひどい倒れ方をします。試練や誘惑に負けて、イエスさまから離れてしまうのです。
私たちは、ふだんの生活の中で、たくさんの試練や誘惑に遭います。どんなに幸せそうに見える人の人生にも、試練や誘惑はあります。試練や誘惑がないように生きていくことはできませんが、試練や誘惑があっても倒れないように生きていくことはできます。
それは、普段からみことばを実行する人になることです。それが、どんなことがあっても、イエスさまから離れず、信仰者として立派に立ち続ける方法なのです。
みことばを実行できるようになるには、自分の力で頑張るよりも、聖霊さまに助けていただくのが一番良い方法です。聞いたみことばをいつも心に留め、祈りながら生活する習慣をつけましょう。そうすれば聖霊さまが、聞いたみことばを、必要なときに思い出させくださり、何をするべきか教えてくださいます。