CSテキスト2年目3月第2週目

 

出典元「こひつじ」

 

「十字架 –どうしてわたしをお見捨てになったのですか」

 

【暗唱聖句】

 ヨハネ3:16

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

 

1.テキスト

マタイ福音書26:47~27:50

 

2.主題

十字架を知り、信じ、感謝する。

 

 

1 イエスさまは不当な裁判にかけられました

(26:47~68、27:1~2、27:11~25)

 

逮捕

 イエスさまは、十字架にかかる前夜、ゲッセマネでお祈りをしておられました。そこへ、弟子のユダがやって来ました。剣や棒をもった群衆と一緒です。ユダはイエスさまを裏切り、その居場所を祭司長や長老に教えたのです。イエスさまは何の抵抗もなさいませんでした。弟子たちは、みなイエスさまを見捨てて逃げてしまいました。

 

裁判

 イエスさまを捕まえた人たちは、大祭司カヤパのところに連れて行きました。祭司長たちは、夜中に裁判を始めました。彼らは何とかしてイエスさまを死刑にする口実をみつけようとしました。「こいつは、自分を神の子だと言って、神さまを汚している!」そう言って、イエスさまを死刑にするべきだと決めました。人々は、イエスさまの顔につばをかけたり、殴ったり、馬鹿にしたりしました。

 

ピラト

 夜が明けると、祭司長たちは、イエスさまを縛って、総督ピラトのところに連れて行きました。そのころ、ユダヤの国はローマ帝国の統治下にありましたから、死刑にするかどうかは、ローマの総督ピラトが決めるのでした。総督ピラトは、祭司長たちが、ねたみからイエスさまを死刑にしたがっていることも、イエスさまには罪がないことも、知っていました。しかし、人々が非常に激しく「イエスを十字架につけろ!」と訴え続けるので、とうとう「私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」と言いました。

 

2 イエスさまは人々からあざけられました(27:26~31)

 

鞭打ち

 ピラトは、兵士たちに、イエスさまを鞭で打つように命令しました。兵士たちは、上半身を裸にし、太い柱に両手を広げて抱くようにして縛りつけ、イエスさまを鞭で打ちました。鞭と言っても、とがった金属やガラスや動物の骨の鋲が埋め込まれている鞭です。皮膚も肉も引き裂かれ、骨が見えるほどになったかもしれません。ピラトは、これ以上打てば、死んでしまうというところで、イエスさまを兵士たちに引き渡したと考えられています。

 

嘲弄

 兵士たちは、傷だらけのイエスさまに、緋色の上着を着せ、いばらの冠をかぶせました。そして、王さまにみたててからかうためです。「ユダヤ人の王さま、バンザーイ!」 さらにイエスさまに、つばを吐きかけたり、頭をたたいたりしてからかいました。そのあげく、今度はさっきの着物を、イエスさまの傷らだけの体から脱がせ、またもとの着物を着せました。

 

十字架

 ローマ兵たちは、イエスさまに十字架を背負わせ、ゴルゴダの丘に連れて行こうとしました。しかし、イエスさまの体は、もうそれができる状態ではありませんでした。それを見かねた兵士が、途中からクレネ人シモンという人に、イエスさまの十字架を負わせるほどでした。やっと兵士たちは、イエスさまの手と足に、太い釘を打ち、十字架につけました。十字架は、最も残酷な刑罰でした。この状態で、何時間も苦しみ、死んでいくのです。道を行く人々は「オマエが神の子なら、自分で十字架から降りてみろ!」とののしりました。祭司長や律法学者たちも「人は救えても、自分は救えないのか。神の子だったら、神さまに救ってもらえるはずだろぅ!そうしたら、信じてやってもイイぞ!」とばかにしました。イエスさまの隣で十字架につけられた犯罪者たちも、同じようにイエスさまをののしりました。

 

3 イエスさまは、十字架で息を引き取られました(27:45~50)

 

最期

 イエスさまは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。そして、もう一度大声で叫んでから、とうとう息を引き取られました。

4 イエスさまは、私たちの身代わりとなって、十字架にかかって死んでくださいました

 

イエスさまは、最後に「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」

と叫ばれました。それは、イエス様が父なる神から、見捨てられたからです。皆さんは、お父さん、お母さんから完全に見捨てられることを想像できますか?

 

しかし、父なる神さまから見捨てられるのは、本来なら、私たちのはずでした。

イエスさまが、こう叫んで十字架で死なれたのは、私たちの身代わりとなるためでした。イエス様の叫びは、本当ならば私たちが叫ぶはずのものでした。

 

私たちは、神さまに造られ、神さまに愛されています。

でも人間は神さまを無視して、自分勝手に生きてしまいます(これを罪といいます)。神さまに背いてばかりいるなら、神さまから見放され、永遠に神さまとの関係が断たれても仕方がありません。

 

永遠の死

しかし、神さまは、私たちを、見捨てませんでした。ご自分から私たちの罪を赦し、永遠の命を与える計画をたててくださったのです。

 

そのために必要なのが、私たちの身代わりとなって、ささげられる命でした。神さまは、私たちの命を救う代わりに、たいせつな御子の命を捨ててくださったのです。

 

すべての人が受けるべき刑罰を、イエスさまが身代わりとなって受けてくださったので、私たちは、決して見捨てられることなく、神さまと永遠にともにいることができるのです。神さまは、それほどまでに、私たちを愛してくださっているのです。

 

私たちが救われるためにすべきことは、ただひとつイエス様を信じることだけです。

神のひとり子なるイエスさまは、完全な身代わりでした。ですから、イエスさまを信じるだけで、すべての人の罪は赦されるのです。

 

Iペテロ2:22~25、イザヤ53、ローマ3:23~24、Iヨハネ1:8~9、ヨハネ3:16、Iテモテ1:15、使徒16:31

 

イエスさまが「なぜお見捨てになるのですか」と叫ばれました。父なる神さまにとって、愛する御子イエスさまを見捨てなければ、救いの計画は達成されません。最も大切な子を助けずに、人類の救いを成し遂げるという究極の辛さです。イエスさまも、それを承知して従い、十字架にかかってくださったのです。イエスさまは私たちが叫ばなければならない言葉を代わりに叫んでくださったのです。

 

まとめ

イエスさまを信じるなら、永遠の命を手に入れることができます。

それは、永遠に神さまから見捨てられず、ずっと一緒にいられるということです。

天国に行くことができるのです。イエスさまが身代わりに犠牲になってくださいました。

 

これほどのことを実行してくださるほどに、神さまは私たちのことを愛してくださっているのです。

イエスさまを信じるお祈りをしましょう。もう一度、イエスさまの十字架に感謝しましょう。

イエスさまが、裏切られ、不当な裁判を受け、ピラトにも見放され、鞭打たれ、あざけられ、ののしられても、十字架にかかってくださったからこそ、私たちの罪は赦されたのです。

 

毎日、この十字架の愛に感謝しましょう。

そして、この愛に応えて生きていこう。もし、まだ心の中に罪があることに気がついたら、すぐにお祈りしよう。

 

【設問例】

1、イエス様は、十字架の上で、何と叫ばれましたか?

 

2、それは、イエス様がどのような扱いをされたことを表してしますか?

 

3、神様がイエス様を見捨てたのは、どうしてですか?

 

4、神様がイエス様を見捨てたのは、誰のためですか?

 

 


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