CSカリキュラム3年目12週目

教会の歩みシリーズ

 

タイトル イエスの御名によって

 

 

テキスト 使徒 3:1-10

参照箇所 使徒 3:11-105:15-16暗唱聖句 使徒 3:6

 

導入】

みんなが持っているものの中で、いちばん価値のあるものは何だろう?お金かな?ゲーム機かな?あなたの命かな?今日は、金や銀よりも価値があり、しかも、すごいパワーがあるモノを紹介します。じつは、それは、あなたがもうすでに持っているモノなのです。

 

1 弟子たちは、足の不自由な人に目を留めました(1-4節)

 

使徒たちは、(ユダヤ人や神殿を批判してばかりではなく)ユダヤ人のきまりを遵守して生活していました。神殿での祈りの儀式の中で、キリスト信仰に基づく礼拝をしていたと思われます。

 

ペテロとヨハネが、午後3時の祈りの会に行く途中、男の人に、お金や物を求められました。この人は、生まれつき足が不自由で働けないため、人通りの多い「美しの門」のところで、物乞いをしていたのです。彼は40歳あまり(4:22)でしたが、誰かに手伝ってもらわなければ、その場所に来ることさえできませんでした。

 

ペテロとヨハネは、この男を無視しないで、「私たちを見なさい」と言いました。☆一緒に考えよう汚いかっこうをした、見知らぬ人に、物乞いをされたら、どんな気持ちかな?あなただったら、教会に行く途中に、物乞いをされたら、どうしますか?

 

美しの門:エルサレム神殿の内側の「婦人の庭」に通じる門。その造りが高価で美しいものだったことから、「美しの門」と呼ばれていたと考えられます。

 

2 イエスさまの御名によって、男の人の足はいやされました(5ー7節)

 

教会にはお金があったでしょうから、ペテロとヨハネにとって、この男にお金をあげるのは容易なことだったはずです。しかし彼らは、この男が期待しているどんなモノよりも、価値があるものをあげたいと思ったのです。それがイエスの御名です。

 

イエスの御名以外に救いはなく、イエスの御名を呼び求める者は誰でも救われるのです(使徒2:21)。

 

イエスの御名によって、私たちは神の子とされ(ヨハネ1:21)、永遠の命が与えられます(ヨハネ20:31)。

 

イエスの御名を使うと、悪霊さえも服従します(ルカ10:17)。

 

ふたりでも三人でも、イエスの名において集まる所には、イエスもその中にいてくださり(マタ18:20)、天の父は、イエスの御名によって求めることは何でもしてくださるのです(ヨハネ14:13)。

 

イエスの御名には、そのような祝福と御力が備わっているのです。

ペテロは3:16で、「このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。」と言っています。

 

イエスの御名は、単なる魔法の呪文とは違います。その御名を信じる信仰が大切です。ペテロはイエスがこの男を癒してくださるということを100%信じていたので、「歩きなさい。」と言ったのです。また、それに応えて、男が信仰をもって立ち上がったからこそ、生ける神の子キリストが、その愛と力をこの男の内に満たしてくださったのです。

 

この男が40歳余りで、毎日その場所で物乞いをしていたとすると、彼が以前からイエスを知っていた可能性は高いと考えられます。イエスが宮の中で盲人や足なえを癒された(マタイ21:14)ことも、おそらく知っていたでしょう。それがイエスの御名を信じる信仰の助けになったのでしょう。

 

3 イエスさまの御名は、ほめたたえられました(8-10節)

40年間も歩けなかった人が歩けるようになり、物乞いの生活から心も体も解放されたら、どんなに嬉しいでしょうか?あなたなら何をしますか?この男はどうしましたか?(8節)

 

神殿には、非常にたくさんの人がいました。「中にいた人たちは、神を賛美しながら歩いている男を、じろじろながめました。どうしたことでしょう。いつも「美しの門」で見かける、足の悪いこじきではありませんか。だれもかれもびっくり仰天、たまげ返るばかりです。」(9~10節:リビングバイブル)。

 

使徒たちは、彼らの力や技術で癒したのではありません。彼らは、イエスの御名とその権威によって祈っただけです。イエスが地上におられたとき、人々を癒されたように、今は、イエスの御名によって祈る使徒たちを通して、奇蹟のわざが行なわれるのです。それによって、イエスがキリストであることが証しされ、神の栄光がほめたたえられるためです。

 

※御名によって祈っても癒されないときがあるのはどうしてか?と質問するこどもがいるかもしれません。奇蹟は神のなさることです。私たちの力でなく、神の権威とあわれみによるのです。だから、すべては理解できないということを伝えましょう。癒しの賜物を与えてくださるのも主です(I コリ12:9)。癒されないのはその人に信仰がないこと、罪があることも、ひとつの原因ですが、それだけではありません。癒されるのにも時があり、癒されないことにも意味があります。私たちにできることは、イエスの御名を信じて祈ることです。

 

【結論】 イエスさまの御名で祈るとき、イエスさまは、弟子(わたし)たちを通してすばらしいことをしてくだ してすばらしいことをしてくださいます。

 

自分の持っているどんなモノよりも、イエスさまのお名前を大事にしましょう!あなたは、イエスさまの御名というすばらしいものを持っていることに、気が付いていましたか?逆に、お友だちの前で「イエスさま」って言うことを、恥ずかしがることの方が多いのではありませんか?すばらしい御名を与えてくださっていることを、感謝しましょう。


イエスさまのお名前を通してお祈りする時、神さまが必ず聞いて下さっていることを信じよう!

わたしたちの祈りのことばにではなく、イエスさまのお名前にチカラがあるのです。「イエスさまのお名前でお祈りします、アーメン」というとき、あなたは信仰を持っていますか?機械的になってはいませんか?イエスさまがすばらしいことをしてくださるという信仰(期待)をもって何でもどんどん祈ろう!

 


イエスさまの御名によってあらわしてくださった奇蹟をみんなで証しし合おう!御名によって、歩けなかった人が歩けるようになる(病気が治る)という奇蹟は、今でも世界中で実際に起こっているのです。あなたの身の回りでも、きっと起こるんだよ。

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