1年目/7月/第5週目
「聖書物語シリーズ」
本論Ⅰ 約束の地カナンへの視察
モーセは12人を視察団として選び、カナンの地に偵察をさせに行く。その中で注目する人物はユダ族のカレブとエフライム族のヨシュア。偵察団のうち10人はカナンに地にはカナン人、アマレク人、ヘテ人、エブス人、エモリ人が住んでおり敵が多すぎて、征服は難しいと悲観的な報告をする。しかしカレブとヨシュアは神さまが必ず、約束の地を与えてくださると信じ肯定的に報告する。
しかし、悲観的な10人の意見は200万人の民の心を大きく動かしてしまった。またここでイスラエルの民は大きな罪を犯す。
『エジプトのほうが良かった。敵に殺されるぐらいなら、モーセを殺してエジプトに帰ろう』または「このまま戦わずに荒野で死にたい。」と言い出す者もおり、イスラエルの民は暴徒と化す。
本論Ⅱ 神さまの忍耐と裁き
神さまの忍耐もここまでであった。イスラエルの民はつぶやき続けた。(これまでにも上記したほか3件ほどの民のつぶやきの事件が起きていた。その内の一件は、モーセの姉ミリアムと兄アロンの造反事件である)
イスラエルの民は『約束の地に入って殺されるより、荒野で自然死を迎えた方がよい』とつぶやいた。神さまはその通りにしようと宣言した。
20歳以上(大人)の者たち全員が荒野で40年間放浪し、死ぬようになる。約束の地に入るのは、その子供たちの世代となる。しかし、カレブとヨシュアだけは約束の地に入ることを許された。
本論Ⅲ 荒野をさまよう40年
イスラエルの民は、神さまの大きな御手に守られて、出エジプト体験したのだが、カナンの地をすぐ目の前にして、神の約束を信じられず、糸の切れた凧のようになり、目的もなく、風の吹くまま荒野をさ迷うこととなる。
聖書は40年間の放浪生活についてほとんど語っていない。しかし、天からの食料マナは降り続けた。神は憐れみ深い方である。
この後、コラの反逆(大祭司の権限をめぐって)でアロンの杖が奇跡を起こす。杖から芽を吹き、花が咲き、杖の先にはアーモンドの実がなる。(イエス・キリストの型)モーセの姉ミリアムの死、再びメリバの水事件、兄アロンの死、青銅の蛇(イエス・キリストの救いの型)の奇跡を経て、いよいよ偉大な指導者モーセの死を迎え、イスラエルの指導者はヨシュアになる。世代交代の歴史が始まる。
結論(適応)
私たちも同じ事、同じ場所、同じ状況に置かれたら、必ず、同じ罪を犯す。
人間とはそういう生き物である。いいことがあったら「神さま、ありがとう!」と言い、悪いことがあったり、自分の思い通りにいかないと「神さまのいじわる!」と文句を言う。
ここで目を留めるのは、神さまの忍耐と憐れみとイエス・キリストの救いである。
失敗しない人生はない。失敗をしなかったことにしようとしたり、恐れたり、責める必要はない。
私たちが失敗によって、神さまから離されることはない。
なぜなら、イエス・キリストの救いがあるから!!
私たちは神さまに素直に、正直にごめんなさいと、祈り、近づけば、イエス・キリストの十字架によって、神さまは許してくださる。そして、私たちは人の失敗や罪を許せるようになる。
「あなたは、心の中で、「自分が正しいから、主が私にこの地を得させてくださったのだ」と言ってはならない。あなたが彼らの地を所有することが出来るのは、あなたが正しいからではなく、また、あなたの心がまっすぐだからでもない・・・」申命記9:4~5